人には多面性がある。
家族が見ている私と、友人が見ている私と、同僚が見ている私は異なっているし、それは私が思う「私自身」とも異なっているだろう。気分によっても違うし、朝と夜とでだって多分「私」は違っている。
人間は多面的なのだ。
いい人がいいことばかりやってるわけではないし、悪い人が悪いことばかりやっているわけでもない。
ただ、犯罪は許されない。誰が許さないかって、まず法律が許さない。そして法律に則って裁かれる。
今、勤務形態が変化したことで(フレックスの人に合わせて仕事をしている)、帰宅が遅くほとんどTVを観ない生活だったのだが、TVを見てびっくりした。
性加害や性被害はゴシップやワイドショーネタではない。びっくりした。いやもう本気で朝から腰ぬかすかと思った(今日気づいたひと)。
また、それと同時に、事件の全容がよくわからないのに報道された一面だけ見て納得した気持ちになって、あいつが悪いこいつも悪いって言うのもどうかね、とも思っている。
何が気持ち悪いって、圧力(権威?)のようなものがなくなったと感じた瞬間にニュースや報道以外でこの件を面白おかしく取り上げ始めたマスコミが一番気持ち悪い。
なんだろう、集団の中から一人いなくなった瞬間、その「いなくなった子」の悪口大会になるやつに似てるような。きもちわるい。あなたが見ているあの子と私が見てるあの子はちがうよ。あなたがキライなあの子は私がすきなあの子でもあるのよ。
ジャニーさんがどんな人なのか、私はよく知らない。
今回の報道のように性加害があったのであれば、それはとても残念だけれど、彼の持っていた悪魔的な一面だったのだろうと思うし、ただ被害者の心の救済を願い、彼を慕った人たちの心の傷をおろおろと心配するだろう。まあ、私の気持ちなんて毒にも薬にもなりゃしないのだけれど。
もしも今後の調査でジャニーさんが無実だ、とかってわかったりしたらニュースでさらっと流して終わるんだろうなあと思う。あとは時間がたてばみんな忘れるだろうしと思われてるんだろうな。
どちらにせよ、公正かつ厳格かつ冷静に事件を追ってほしい。どんな立場の人も、理不尽な結果にならないことをせつに願う。
下の日記でも言ってるけども、マスコミって業の深い仕事だ。
ただ、それをわかったうえで、本当に本気で報道の在り方は変わってほしいと思う。 面白さではなく、撮って出しでもなく、ちゃんと考えて多角的な視点で報道する機関であれ。その裏側に、加害者・被害者以外にも、関わっているたくさんの立場の人間がいることをちゃんと捉えたものであれ。と思いました。
というわけで、私はトニセンの喫茶店(神宮前にできるらしい)をめちゃんこ楽しみにしています。世界一緊張する喫茶店…!行く前から震えるぜ…!(来年あたり行きたい)