実はワタクシ、専門が全然違うのに、あのノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生に二度ほどお会いしたことがある。いや「お会いしたことがある」はちょっと…いや大分語弊がある。講演者と聴講生だ。
一度目は、ある秋の寒い日だった。何故覚えているかというと、会場のあまりの寒さに持ってきた赤紫(ド派手)のストールでぐるぐる巻きになって講演を聞いたからです。変なひとじゃないの寒かっただけなの…。
九州の某大学で理系学生向けの講演会が行われるというのを、出張先で聞いた私と仲間たち(みんな社会人)。
私「それ、聞きに行ってもいいですか?」
K大の先生「いーよいーよ。会場広いし」
ものすごい寛容だ。というか、セキュリティーとかいいのか先生。世界の小柴先生なんですけども。と焦る私。
私「でもアレじゃないですか?いくら広いって言ったって埋まっちゃうんじゃ?」
K大の先生「いや大丈夫じゃないかな」
というわけでお言葉に甘えて仲間たちと共に忍び込んだ。さすがに集団だとバレてしまうかもと思ったのであえて集合はせずにバラバラの時間にやってきてそっと会場入り。
会場は先生の言う通り、全然埋まっていなかった。K大の学生さんたちは謙虚で、前の方の数列とかほぼ人が座っていない。前の方に座った私、遠くの同じ列に仲間の姿を見る。
まさかの悪目立ち。顔を見合わせてみんなして苦笑う。
ただ、我々楽しみすぎてちょっと早く会場入りしすぎたみたいで、直前になったら結構団体で学生さんがいらした。女性少ない。
小柴先生はそれはそれは楽しそうにご自分の専門分野について話をされた。もう最初から最後まですごい熱量と知識と愛で滑らかに話をされた。なんだろう、めちゃ頭いいというのがわかった(頭悪い感想だな)。そしてやたらと楽しそうなのである。
えーと、カミオカンデというとんでもないものを建設し、陽子崩壊やらニュートリノやら…ええとノーベル賞なんだ。世界の小柴先生だ。すごいぞ!
でも全然えらそうじゃなかった。今までお会いした著名な研究者の方々はすごい人であればあるほど全然えらそうじゃない。吹けば飛んじゃうような私のような人の超基本質問にも丁寧に応えてくださる。有難い。いや、この時はさすがに質問していないけれども。
なんだろうか、勉強は楽しいんだよ、素敵なんだよ、この世界は素晴らしいんだよ、というのを全身で伝えられた気がした。なんたるバイタリティーと情熱。素敵!
とてもカッコイイおじいちゃんだった。
二度目にお会いしたのはそれから1年以上経った後の平成科学基礎財団のイベントであった。これは学生対象、学生優先のイベントだったのだが応募したら当たったので行った。「ゾウの時間ネズミの時間」や「歌う生物学」で有名な本川達雄先生の出前授業だった。もちろん話は生物学。
場所は佐賀県。
行ったら市の会議室みたいなところで、100人入ればいっぱいになるであろうという場所だった。ええー!佐賀県だからー?!
さらに驚くことに「成人でもそりゃ抽選に当たるわ」というくらい参加人数も少なくてビビる。
そんな会議室に、本川先生がいらっしゃるより前に杖をついて現れたのが小柴先生だった。そして誰よりも前の席のど中央に座られた。ひゃー。私の、通路はさんで2席おとなりの席である。そして間の2席には誰も座っていない。きゃー!
握手してもらうべき?!と思ったがあまりにもミーハーすぎるし本川先生にも超失礼なのでやめた。チキン。今思えば握手してもらえばよかった。
いくらご自分が設立された平成科学基礎財団のイベントだからといっても、ここは佐賀県なのだ。電車で5分とかいう距離じゃないし、交通の便も悪い。何度も乗り換えをするか車でだって空港から2時間とかいう距離なんである。あのとき佐賀空港はもうあっただろうか。当時すでにかなりのご高齢で杖もついていらっしゃるしお耳も遠いご様子であった、それでもなお本川先生のいろいろ合わせて4時間近い講演を、一度も席を立つことなくほぼ微動だにせず聞いていらした。
生物学はおそらく専門外であるにかかわらず、だ。ヒトデの話とかだったのだが、どう考えてもヒトデに興味があるわけではなかろう。
あーダメだ素敵ー!(思い出し素敵)
やはり本川先生には失礼かもしれないが握手してもらうべきだった。
本当に素敵で偉大な研究者だったと思う。年をとってなお精力的に活動された方だということがわかっていただければと思ってこの日記を書いている。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。