「夜中に犬に起こった奇妙な事件」を見てきました。IN大阪。
一階の前から3/4あたりのところで見ました。
15歳のアスペルガー症候群の少年(幸人)が、近所の犬を殺した犯人を捜そうと決意する。そのことについて日記に書くとよいと担当教員の瑛子先生が勧め、その日記をもとに起こっていく出来事、明かされる真実が語られる。
というお話。
核心には全く触れないまま、核心にギリギリまで迫った話だと思いました。これは原作か、または脚本の大勝利。
演出もすごくよかったのだけど、宮本亜門の「金閣寺」にものすごく(セット込みで)似ていて
「……オマージュ?」と思ったほど。オマージュなのかも。宮本亜門別に死んでないけど。
開演前のステージの状態ですでに「あれ?どこかでみたことある」と私(どしろうと)が思うくらいなので…もしくはこういうのが流行っているのかな。
以下ネタばれをします。
ステージ上には教室の内部が作られている。真正面に黒板、その両サイドにノブつきの扉。左袖につくりつけの二段の棚(ランドセルとか入れるような)その上に窓と開き戸があり、廊下に出ることができるようになっている。右袖はピアノが(生伴奏だったの)。
遠近法でステージ上が広く見えるように黒板上から棒状のライト(蛍光灯)がいくつか会場側に向かって放射線状にのびている。(金閣寺のときは蛍光灯は放射状にはのびてなかったけど)
小道具は椅子とえもんかけ(←これがいろんな扉の役割をする)
可愛がっていた犬が殺され、疑われる第一発見者の幸人(主人公)。やってきた警官に「体に触れられた」ことでパニックを起こし警官を殴ってしまい連行されてしまう。
警告処分を受け、父とうちに帰って「お父さんはよけいなことをするなというけれど、犯人を捜そう」と決意する。
主人公は理数系は抜群にできるが、「数学の公式を解く」ようにしか世界を見ることができないため、表に現れない「人の心の機微」が読み取れない、あいまいな言葉を理解できない、そして五感から感じられる情報の選択ができずまるごと記憶してしまう。
また、「自分内ルール」でしか生活できないため、人と合わせることができず、不意なことが起こるとパニックを起こしてしまう。
そういう子。
そして犬が無条件に好きで、お父さんと先生のことを信じていて、お母さんのことを愛している少年でもある。
周囲も少年のことを愛している、近所の人々も嫌ってはいない。そういう環境で、かつそのハンデに合わせた教育も受けられている。そういう意味では恵まれていると言ってよいのだと思う。
そんな彼が「犬殺しの犯人」を探すために自分の中の「人に対する恐れや怯え」を抑え込んで周囲に聞き込みをし、犬の飼い主には「もう関わるな」と怒られ、近所の人には軽くあしらわれ、近所の老婆に「知らなかった真実」を聞いてしまい。彼の内部の混乱。
心臓発作で死んだはずの母が実は生きている?
かけおちをして東京に住んでいる?
謎が増えた。
二つの謎について聞き込みをする。
お父さんが怒る。
日記を奪われる。家中を探す。日記の他に、母からの手紙が出てくる。山のように。
お父さんは自分に嘘をついていた。
お母さんは生きていた。
そして「犬を殺したのは自分だ」といった。
そうしたらお父さんはいつか僕のことも殺すかもしれない。
もしそうならお父さんとは一緒に暮らせない。
先生は家族じゃないから一緒には暮らせない。
お母さんのところへ行こう。
東京。
しかし、必死の思いでたどり着いた母の家で、喜ばれたものの、母はそれがきっかけで職を失い、恋人ともうまくいかなくなっていく。(主人公はそのことが自分とどうかかわっているのかを認識できない)
最終的には恋人と別れた母が地元で職を探し、幸人と父の家の近くに住み、幸人はその二つの家を往復する暮らしになる。父のことはまだ信じられないけれど、父はぼくに犬を飼ってくれた。
その犬が、父が僕を殺さないよう見張ってくれている。だからお父さんの家でも大丈夫。
僕が書いた日記はお芝居になった。一人で東京にも行けた。数学コンクールで準一級をとった。それって、僕は何でもできるってことだよね?
瑛子先生はしばらく僕を見つめ、黙って何度も力強く頷いた。
日本では、
この主人公程度の障害ならば(そして他人に危害を加えないのであれば)支援学校でなくふつうの学校に在学している。診断で「ボーダー」である子まで含むと1つの学校で二けたにのぼるくらいいると思う。(学校の規模にもよるけど)
その程度には多いということである。
そして、その障害というか壁?と向き合ったことのある人たちは大なり小なり共感というか同調というか「あーわかる」
という気持ちになったのではないかと思う。
愛情が理解できない、与えられた愛情をきちんと返すことができない、ということを一番苦痛に思っているのはきっと本人で、何故自分が関わるといろんなことがこじれたり周りが怒ったりケンカしたりするのだろうと思っている。
両親も、なぜこの子は私の気持ちをわかってくれないんだろう、いつになったらわかってくれるのだろう、と思っている。
根本は「愛」なのに、いつ終わるともわからぬ大きな負のスパイラル。
でも、そんな主人公が、本人もそれとはわからぬまま持っているものも見える。「純粋さ」と「愛」と「信頼」だ。
幸せだった母との時をリアルに思い出したり、母の苦しみを知って自責の念に苦しんだり。
東京の情報量(音の洪水、光や文字の洪水)にパニックに陥りかけた幸人を救う瑛子先生の声。お父さんの声。
その声に従い母の元へたどり着けた。
そのことで観客にわかる。
実はここが一番ぐっときた。パニックを起こしかける幸人の前に現れる先生の幻影は彼に「方法」を示したのだ。
がけっぷちに立たされた主人公が最後に頼るために思い出したのが先生と父親の「言葉」だったのだ。
ああ教育が役だっているよ。信頼されてるよねえ。冥利につきるよね。
この子が一人でも生きていけるように頑張ってるんだもんねえ。
そして最後に「(僕はこれから)なんでもできるってことでしょう?」と聞かれた先生が何も言えず何度もうなずくシーンもよい。
彼女はわかっている。きっと幸人もわかっている。それが本当ではないことを。でもそれは祈りであり願いなのだと思う。
そうしたら先生はあの場で頷くのが最も誠実な答えだと思うのだ。
あと数学コンクールの合否通知を見せてくれるのもうれしいよねえ。信頼されてるねえ。
あーもー情報量が多すぎてつらい。そしてリアルだ。
でも良い話なんだ。
傷つくけどつらいけど苦しいけどそれでも彼らの成長は「ある」のだということをまざまざと数時間で見せてくれた。
とてもよくわかる話だった。
森田さんは本当に純粋な少年に見えた。
怯えも恐れも夢も愛情もちゃんと見えた。
木野花さんのアドリブ(手押し車に乗せた飼い犬の上にひょいと座ってしまう)に笑いをかみ殺しきれない姿ににやにやした。(←ファン)
ひょいひょいリフトされる姿にもその身軽さにぐっときた。うーんかっこいい。
あと何より、パパが買ってきた犬が本物で(レトリーバーの子犬。ふかふかでぼーっとしてて超かわいい)を恐る恐る箱から出してぎゅっと抱きしめるのがもうかわいくてかわいくてどうしようねほんとね!!犬も全然ぼーっとしたままでかわいい。なすがままだなお前!
それと珍しいことにスタンディングオベーションがなくて驚いた。おーどうした?舞台後に「おまけ」があったからかなとも思うけど。
うん。他の出演者さんについても。
小島聖さんはしっかり先生だった。
しかし、舞台上のセクシーは全部たかおかさきが持って行った。すごいよたかおかさき!遠目でもわかる美人!そしてなんだあの色っぽさ!びっくりだ。いやーすごいねえ。
面白かったです。ハッピーエンドではなかったでしょうか。
でももう一回言わせて!
そういう役をあてたくて演出家のみなさんがうずうずしてる気持ちもわからなくないんだけども、
純粋でピュアな少年(青年)役や、破滅へとひた走っていく役とかはとりあえずお休みして、
今度はコメディーとかちょっと幸せめの話をお願いします…!