この1年、どんな思いを抱いていましたか?って聞かれている。ので書いてみる。でもうまく書けるかな。
昔クイズ番組(バラエティー番組?)で「アハ体験」というのが流行った。ざっくり説明すると「瞬間的に閃いて納得する(腑に落ちる)こと、その体験」なんだけども、脳科学的にイイかなんかでよく取り上げられていたように記憶している。
クイズでは、画面に1枚の写真が出て、数秒間でゆっくりその一部が変わっていく。さてどこが変わったでしょう、というもの。もしかしたら今のクイズ番組でも取り上げられているかもしれない。少しの間に、画像の中でまあまあな面積を占めている赤いカーテンが緑に変わったり、犬が猫に変わったり、読んでいる新聞が本に変わったりする。
変化前と後の画像を並べられると明らかな違いがある、けれどほとんどの人は大写しになった画像がじんわり変わっていく、その変化に気づけない。もちろん私も。
今は、それとよく似ていると思う。
「変わりますよ」って言われたから「変わっている」ことはわかっている。
「流行ってますよ」って言われたから「流行っている」ことはわかっている。
何かがゆっくりと、しかし大きく変容している。しかし気づけない。
いろんなことが変わった。私達は常時マスクをつけ、外出を自粛し、消毒をするようになった。ある知り合いは職を変え、ある知り合いとは気軽に会えなくなり、ある知り合いは陽性反応が出て入院し(幸い軽傷ですでに退院済)、ある知り合いは若くして自ら命を絶ってしまった。
私達は変容の真っただ中にいる。
1つ1つのことを理解はしている。ウイルスは一時期の私の研究分野でもあり、たぶんある程度の知識もあるので、何となくではあるが「新種のウイルスが流行すれば世界はこういう風になる」という予測もできていた。
でもそれでも何だかよくわからない。
「私自身」は「今」「世界と適応するために」「変容している」のか。
戦争もこんな風だったのかもしれないなと思う。
防空壕の中で友人と手をつなぐ女学生とか、
ラジオで戦況を聞く人たちとか、
もしかしたら今の私達と同じような気持ちだったのかもと思う。想像するだけだけど。
私自身は自分のことを「変化していない」と思っている。多少衛生面で気を付ける部分は増えたし、少々の変更はあったものの、同じ仕事をこなし、基本変わらない日常生活を送っているからだ。元々引きこもっても楽しく生活ができる性質だったようで、特につらいこともない。田舎ということもあり、意外とごきげんに生活できている。
でも、私だけでなくそれぞれがそれなりに少しずつ「変化」しているのだろうなと思うので、私はわからないなりに、それを忘れないでいようと思っている。
あと理性は大事だなあと思うから、それも忘れずにいようと思っている。
すごくわかりにくい文章になってしまった。つたわれー。
本で言うならこんな気持ち
「となり町戦争 三崎亜紀著」
- 価格: 704 円
- 楽天で詳細を見る