のらりくらり日記

世の中のいろんなことにひっかかりつつ流される備忘録。好きなものを好きといってるだけ。過去の観劇日記もこちらに置いてます。科学系の話も少しだけ。

2013年10月、「鉈切り丸」を観てまた惚れ直している(何度目だ)

 台風と台風の合間に大阪へ。

舞台「鉈切り丸」見てきた。シェークスピア「リチャード三世」の舞台を日本に置き換え、源頼朝の弟で義経の兄、範頼を森田剛が演じる。
 今回下手側(はしっこ)実質五列目(舞台の座席運の良さ健在。なぜこの能力をライブにはちっっっっとも発揮できないのか無念だ無念すぎる)


 今回いのうえひでのり舞台を初めて観たのですが、なんだろうすごく「劇団」ぽい演劇だと思いました。大衆的といったほうがいいような。
 比べて、宮本亜門さんとか蜷川幸雄さんとかの舞台は芸術的だと思います。どこにもアラがない代わりに、その場に合わせて崩せない感がある。

 いのうえ舞台はまず「観客の視点」ありきなので、その場に応じて変えられる。むしろ観客に合わせて「楽しませよう」という感じ。やりすぎ感があるとというか(笑)。芸術性は二の次。という感じがしました。どっちもそれぞれ良さがある。とても面白い。

 

 実は観る前に「リチャード三世」を読んだ。
 舞台が始まってまっさきに思ったのが、
「主人公のイメージが違う」だった。
 原作の主人公は「妬みとコンプレックスの塊みたいな男」だと思ったんだけど、
 舞台の主人公は「誰にも愛されないということを知っている男」だった。誰にも愛されなかったわけではないのだろうけど、自分は一生誰にも愛されないと思っている感じ。だからといって自暴自棄なわけでないのであの恐ろしさなのだが。
 
 姿は背中に瘤。片足固定、顔に痣。常に前傾姿勢で、着物を着ているせいもあって腕がものすごく長く見える。手負いの獣のようだった。走るときに片手をつくのではないかと思うことが何度もあった。
 で、表情。いやもう怖い。目が終始全然笑わない。
 
 主人公は終始徹底的に悪、弁が立ち、策士のため、いろんな人を騙しまくってみんなが思った通りに動いて破滅していくさまを見ているのですが、そういうの見てても笑わない。ただじっとまっくらな目でその様子を見てる。そして次を考えている。
 唯一一か所だけ、嬉しそうな様子が描かれるのですが、それも一瞬。
 考えたら不幸な男だなーと思うのですが。最後に死ぬことがすでにわかっているからだろうか、すごい悪い人なのにどこか憎めない。
 破滅がわかっていて、しかしもうすでに止まることができずにそのまま突っ走るさまが悲しかった。

 

 んで。
 隣りに座っていた方が幕間に
「(登場人物)みんな、ちょっとばか?」と言うていらしたのだが、私もそう思う。シェークスピアの登場人物はみんなちょっと間が抜けているというかしっかり物事を考えていない。
 深く考えることをしないで、誰かの(ここでは範頼)の考えを「ナイスアイデア」と思って行動しちゃううからこその悲劇だ。
 考えることを放棄しちゃだめね、人の言うこと鵜呑みにしちゃダメね、という話なのだ。シェークスピアって大体そう(←全部読んだわけではないのにざっくり括ろうとする悪癖)。

 全体的には、雨のシーンと最後のシーンは美しかった。あと影がすごく効果的だった(怖い怖い)。あと個人的にはだらりとたらした腕の先、着物からちょいっとのぞく手がキレイというか可愛いというか(はいはい、と言うておいたらいいです)。
 その他の役者さんの話もしようっと。

 生瀬さん(頼朝)はイキイキしてらした。ああ、こういう舞台は彼の得意とするところなのだろうなと思う。独壇場。一人で舞台の雰囲気を明るくしていた。(あと比企尼もね)

 若村さんはキレイ。いやもう舞台人だなーと思う。そして強い。生瀬さんを上手に切って捨てていた。すごいなーと思う。

 麻実さん…というか建礼門院…!すごい!もう他の建礼門院が思い浮かばないくらいだ。森田さんとは別の意味で恐ろしい。生瀬さんとは別の意味で舞台上を全く別空間にしてた。すごい人がいるもんだ。

 木村了さん(頼朝家臣)。多分ものすごく真面目な人なんだろう。真面目そうな役を生真面目に演じてて、生瀬さんとのギャップになぜか笑う。

 渡辺いっけいさん(頼朝家臣)。イメージになかったのだが、この人は舞台の人なのねーと思った。舞台上のどこにいても誰といてもちゃんとしっくりくる、何の違和感もない、というのがすごいなと思う。

 須賀健太さん(義経)。その若さと初々しさと素直さと無邪気さで、他人の邪気に気づけずに破滅するさまが哀れだった。それをきちんと演じきったことがやはり役者さん、すごいです。

 成海璃子さん(巴御前)。なんだろう、全力直球剛速球しか投げません的な体育会系女子に見えた。面白そうな人だ。初舞台だそうで、今後に期待でしょうか。

 山内さん(広元)……怖いよね。怖くないかこのひと、というかこの役。編纂者だから、全部を俯瞰で見て、すべてを書き換えられる…んだよね。

 秋山さん(範頼母)。終始「自分」のことだけで手いっぱいな役だった。そのことを責められないけど、そのことが悲劇の出発点だったように思えて仕方ない。

 
 以上、舞台(ねたばれしてないとおもう)感想でした。 
 

 いのうえさんが森田さんを評して「居場所を探して彷徨っている感じ」と仰っていらっしゃるらしいのですが、それは私がいつも言うている(が誰も聞いちゃいない)「ひとりぼっち感」のことだーと思いました。同志だ同志がいる(勝手に)。
 でも、破滅に向かってひたすらまっすぐに走る男の役はもうしばらくいいです。
 そういう役をアテたいのはわかるけどな!!次回は幸せになる話でひとつ!もう確かにかっこいいんだけど話が暗いんだ暗いんだよー!くらいのはもういいー!

 

追伸1.

体を歪めたままの演技、しかも長丁場、そして最後のシーン、長台詞だけでも大変なのに、大変だろうなと本当に思う。うん。すごいひとだ。

 

追伸2.

誰からも愛されないと知っている男。

だからこそ「ともすると自分が愛しそうになる人々」だけを葬っていっているような気もする。しかも自分でも気づかぬうちに。哀れだ。